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★18473月、上信越地方を襲った巨大地震(善光寺大地震)で、長岡城下も大きな被害を受けた。江戸表に勤めていた長岡藩士井上克蔵(後の井月)は、地震で倒壊した家屋の下敷きになり両親、妻そして娘の一家全員が亡くなった知らせを受け取る。
★克蔵は昌平黌で主席になるほどの逸材で、将来を嘱望されていた。江戸に戻った克蔵は、被災前と同じように勤勉に勤めていたが、次第に俳諧に没頭するようになった。
★数年後、信州伊那谷に越後の生まれで井月(せいげつ)という俳人が流れてきた。決して過去を語らず、みすぼらしい風体をしているが、俳句の知識と詠みは抜群、書も名人の域。腰に瓢箪を下げ酒をこよなく愛する奇人は、俳句や書のお礼に酒を振舞われると、「千両、千両」と言うのが口癖だったと言う。
★虱だらけの弊衣を纏い、婦女子には「乞食井月」と忌避されたが、伊那谷の知識人に愛された井月は、伊那谷に入ってから一度も故郷に戻らなかった。明治20年(1887)3月10日没。享年66歳。
娘哀惜の句 遣るあてもなき雛買ひぬ二月月
望郷の句 雁がねに忘れぬ空や越の浦
辞世の句 何処やらに鶴の声きく霞かな
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